展覧会アーカイブス 1997

"鳥たちの休日"
room1

作家紹介
- 浦谷 由美子
掲載紙
-
ガラスの卵が床にいくつも置かれている。微妙に異なるひとつの直径がだいたい20センチくらい。透きとおる卵のなかには、鳥の羽根がやわらかに折り重なっている。ただそれだけのインスタレーション。だが、なぜかひどくうつくしくて、切なく懐かしい。
たとえば、浦谷由美子がこれらの羽根を集積したという2年あまりの時間や、その間刻々異なったであろう海の表情や、波が運んできたさまざまな漂着物に馳せられるメランコリックな感情。あるいは、卵と羽根という物質が喚起する、「始まりに内包される終わり」とか「予感と記憶の交錯」といった詩的なイマージュにその理由を探すこともできるだろう。
しかし、そういったセンチメンタルな甘さとは異質の、なにかもっとはりつめて凛と乾いた、心地よい空気が漂う。純粋に、なにかの働きや目的に徹しているものだけのとる冴えたかたち。無駄のない硬質で無欲な、極みのおもざし。それだけでこの空間は構成されている。卵のゆるやかな楕円形のカーヴは、官能的なまでに絶妙の曲線を徴わす。それは、やわらかな生命をやさしく守る、強く洗練された器。時が満ちれば壊れてしまう宿命の哀しさまで、あますところなく描くきざし。羽根もまたたしかに大気と親しいかたち、飛翔の似姿をしている。あえかで乏しく軽い、が、その希薄さが海鳥の過酷な飛行を支えるのだ。
いま目の前にあるこのオブジェたちは、その機能のミッションから解き放たれているだけに二重にうつくしい。生まれるため飛ぶためにあったかたちがその属性をまっとうして、肉の温度や血のぬめりや、いっさいの濁りを洗われている。卵も羽根も、もはやそれ以外のなにものでもない。故にそれはすべてに似ている。清らかな骸にも、ノスタルジアにも。種子にも、歴史にも。そしてすべてに似ているものは、神がそうであるように孤高である。その高みに思いがけず、美はそっと降誕するのだ。
「選」田川とも子-関西学院大学大学院博士課程『美術手帖』1997年10月号

展覧会備考
−