経歴
1966 | 神戸に生まれる |
1991 | 立命館大学文学部卒業 |
個展 | |
1992 | ON GALLERY(大阪) |
1994 | ギャラリーギャラリー(京都)/’95, ’99 |
1996 | 信濃橋画廊(大阪) |
1997 | スカイどあアートプレイス青山(東京) |
2001 | ギャラリーマロニエ(京都) |
グループ展 | |
1991 | 第6回吉原治郎賞美術コンクール(大阪府立現代美術センター) |
1996 | 庄司幸子展にビジュアルプレゼンテーションとして参加(楓ギャラリー・大阪) ミニドローイング展(ギャラリーギャラリー・京都) |
1997 | 第2回昭和シェル石油現代美術賞展 |
1998 | International Group Show(CAELUM GALLERY・New York, アメリカ)/2000 |
展覧会
1999年5月17日(月)~30日(日)
私は10代の頃、ただ呼吸をして睡眠をとって栄養素を取っていれば、生き続けられるかどうか人体実験をしているかのようだった。
自分が今、本当に生きているかどうかを知りたいと、ずっと思っていた。
そして二十歳を過ぎて、思いつくまま遠い所に行くことにし、飛行機のチケットを買うことが関心ごととなった。
その土地に着き、その空気を吸い、土に触れて匂いを嗅ぎ、その水に少しづつ体を慣らしていく。もうこれ以上行くと帰れないかもしれない、と怖じ気づくことで、ようやく私は生きていることを実感した。
私は何かに触りたい。何かに触れて匂いを嗅ぎ、その空気を呼吸したい。
一人きりで部屋にいるのであれば、立ち上がって窓を開け、様々な感情によって動いていく街の音を聞きたい。次の瞬間には消えて行く風景を確かめつつ歩きたい。
2002年11月1日(金)~16日(土)
日常とは違う空気の流れる場所を作りたい、そう思って美術に向かい合って来たわけですが、私の生活は、作品を作るために買ってきたけれど使わなくなった物、使って満足したけれど再利用できないもので溢れてしまいました。普段のくらしでは、なるべく物を持ちたくない、家具1つだっておきたくないと制限しているのにです。何か楽しい気持ちを提供するために、何かを作りたかったけれど、どこから金を持ってきて、材料を買い、作るということに飽きてしまったのです。何も買いたくない、あるいはあまり買いたくないと思って見たところで、私の(私たちの)生活は物を買うことで成り立っています。なるべく捨てたくないと思っても、捨てなくてはならないだろう物たちで一杯です。何かに使えるかなと思っていた物たちで私の家はじわじわと溢れつつあります。
何も買わずに、捨てない生活、これが将来的にはかっこいい暮らしになるのではないかと思いますが(日本経済が沈没しようとも)、今はだた私の周りに集まってきたゴミたちを眺め、飾ってみようかなと思います。