経歴
1972 | 岐阜県宮村に生まれる |
1996 | 近畿大学文芸学部芸術学科卒業 |
1997 | 近畿大学文芸学部染織研究室研究生修了 |
1999 | 東京芸術大学大学院美術研究科工芸専攻修了 |
現在 | 静岡文花芸術大学デザイン学部に実習指導助手として勤務 |
個展 | |
1998 | ギャラリー U(東京)/ ドレスメーカー学院後援 |
1999 | ギャラリー くりっく(東京・キャロットタワー)/ 世田谷区コミュニティー振興交流財団、生活工房後援 |
2000 | 宮村民文化会館 ギャラリー(岐阜)/ 岐阜県宮村教育委員会後援 ギャラリー・いそがや(東京) |
2001 | ギャラリー・いそがや(東京) |
2002 | 千疋屋ギャラリー(東京) |
グループ展 | |
1997 | 第5回 ITFインターナショナル・テキスタイル・コンペティション97(京都文化博物館・京都府) TEXTILE’97(東京芸術大学展示室・東京) |
1998 | 第4回 国際「掌中」新立体造形公募展(名古屋市中小企業振興会館吹上ホール) 創作展 -東京芸術大学学生選抜展-(東京芸術大学美術館) |
1999 | ファイバー・ワーク・コラボレーション 99(ギャラリー・スペース21・東京) 第12回 日本デザインコミッティー・デザインフォーラム1999(「松屋」銀座店・東京) |
2000 | 第39回 日本現代美術工芸展(東京都美術館)/ 第40,41回出品 第5回 国際「掌中」新立体造形公募展(名古屋市中小企業振興会館吹上ホール) 第13回インターナショナル・ミニアチュール・テキスタイル・ビエンナーレ(ソンバトヘイ美術館・ハンガリー ほか) 第10回インターナショナルコンペティション“ミニアーテックス・コモ”(コモ、イタリア) |
2001 | 第25回 フィラデルフィア美術館アート・クラフト・ショウ招待出品(フィラデルフィア、アメリカ) |
2002 | 第5回 現代作家立体小品展「浮気のかたち」(ワコール銀座アートスペース・東京/ギャラリーマロニエ・京都) 第3回 ミニ・テキスタイル・インターナショナル・コンテンポラリー・アート・エキシビジョン(ギャラリーMXスペース・バルセロナ、スペイン) サ-ヴェイ・ファイバー 2002 -世界の83作家-(スナイダ-マン・ギャラリー、ワークス・ギャラリー・フィラデルフィア、アメリカ) SOFA 2002 -ニューヨーク展-(セブンス.レジメント ア-モリ-・ニュ-ヨーク、アメリカ、他) 第22回 日本ジュエリーアート展(伊丹市立工芸センター、上野の森美術館、他) SOFA 2002 -シカゴ展-(シカゴ、アメリカ) |
コラボレーションワーク、その他 | |
1997 | シンポジウムのアートディレクション(宣伝美術・舞台美術)/「超古代文化フォーラム・位山」(岐阜県・宮村・高山市教育委員会・飛騨考古学会等主催) |
1998 | 舞台公演の舞台美術・宣伝美術・衣装 / 劇団口遊階級(現在 bound)公演「空が止まってみえた」(パンプルムス・東京) |
1999 | 室来三千主催、「七夕の室来」へ作品提供 /(株)ミサワホーム・アートギャラリー「室来」(新宿・東京) 舞台公演の宣伝美術 / 劇団口遊階級(現在 bound)公演「セルフ・サービス」(die platze・東京) ポスター製作 /「日本教育社会学会50周年記念・国際カンファレンス」(国立オリンピック記念青少年センター・東京) |
2001 | TORTIRAプロデュース、スタイリスト北村道子によるフォトコラボレーションに手織りによるテキスタイル作品を提供 / 月刊 STUDIO VOICE 2000年11月号 掲載 テキスタイルデザイン(藏族へ進呈する服飾品の制作)/ 文部科学省 科学研究 基礎研究B「雲南省、四川省藏族における美術工芸と芸能に関する研究」 |
2002 | 月刊「染織α」6月号に自身の創作活動に関して寄稿、特集記事掲載 |
他、活動多数 |
「ワード・オーナメンツ」
2002年11月22日(金)~12月7日(土)
今回の展覧会では、言葉をかざり、そのかざられた言葉で壁をかざります。
アルファベットの記号を飾り、飾られた記号でギャラリーの空間を飾ります。
これは私が2000年に織の仕事から離れ、水引きの手法を基に制作し、ギャラリーいそがや(東京)にて発表した作品です。この作品は工芸における装飾美についての私の考察です。そして、インスタレーションと称される現代美術としての行為ではなく、飾るという行為に観念性を求めない純粋な装飾行為を実践しようとする試みです。
生活を取り巻くモノや、こと、に施される様々の装飾。用を満たすために存在する道具に、人はどうしてかざりや、彩りを求めるのでしょうか。その答えはわかりませんが、私が感じている「かざる」という行為の良心、のようなものを表現できたらと考えています。