ひろせ みどり

Midori Hirose

経歴

1976 京都に生まれる
1999- 京都市立芸術大学美術学部大学院生
個展
1996 「くもりぞらのせんたく」/京都工芸繊維大学学生会館
「秋が忘れていったもの」/京都工芸繊維大学学生会館
1997 「たまごのかぞえうた」/京都工芸繊維大学8号館
「木もれ日のかけら、水たまりのかけら」/ギャラリーそわか・京都
1998 「散歩でひろった窓」/ART-Boxアンフェール・京都

展覧会

「小さな海から朝がはじまる、
そしてカーテンの向こうがわ」

1999年2月20日(土)~3月6日(土)
(1999年3月9日(火)~21日(日)/ギャラリーそわか)

壁に掛かったモネの「印象、日の出」、床の上のグレーの色面、そして、その間を行き来する小さな船。近づいて見ると、それらが全て雑誌や広告などに使用されていた視覚イメージの断片を貼り合わせてつくられたものであることに気付かれるでしょう。

情報化された社会の中で、私たちは、さまざまなもののすべてを知ったつもりになっています。
私は、印象派のはじまりを象徴する、モネの「印象、日の出」という絵を、図版や教科書、テレビ、雑誌などを通して何度も見たことがあります。しかし、実際にはその絵を見たことがないのに、私は、「印象、日の出」を知っているといえるのでしょうか。私が目にしたものは、カラー印刷のインクのドット、カラー写真の色素、モニターの光なのです。日常の中で「あたりまえのこと」として、感じ取っているリアリティーは、私たちが理解しようとして、自分自身の中でその意味を創り上げているものに他ならないと思います。それは、あいまいな世界の中で生きていくことの不安から逃れるための一つの方法として、身に付けてきたものです。現代社会の中では、それらの多くは、私たちの直接的な知覚ではなく、情報媒体を通して私たちの知覚に働きかけています。そして、マスコミなどによるステレオタイプな価値観が、多くの人を支配してきています。自分自身では確かめることが不可能な「情報の世界」が、本来は一番身近にあって直接確かめることができるはずの「日常の世界」から、リアリティーを奪い取ろうとしているような気がします。世の中の存在するものを、頭の中であれこれ規定することをいったん保留し、自分自身の直接的な知覚によって得られるものを理解しようとすることで、あいまいな世界の存在を促え直すことができると私は、思っています。情報社会の中で、失われつつある、自由な世界とのかかわりを取り戻すための旅へと舟は出発するのです。

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